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2010年に母が他界。 それをきっかけに仕事を辞めてばあちゃんの介護を開始! 自分の身体が優先できない日々に葛藤するアラサー女子。 家族のこと・介護のこと書いていきます。
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祖母が1月末に入所してから、私もアルバイトを始めました。
違った意味で、いろんな意味で、ストレスもたまっておりますが頑張る所存です。

家族との関係に悩む日も多いですが、これが私の人生なんでしょうね。

介護が終わって、またいつか介護する日が来るんだろう。
そう思うと私の人生って、誰のためのものなんだろう。そう思います。

誰のための人生か分からない人生を歩むあたしって…なんなんだろう。

まだまだ悩みは尽きなそうです。
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母方の祖父母から見て、孫は私を含めて三人。
伯母の息子(私から見て従兄)は、可愛い可愛い男の子。
祖母の愛情は、従兄にしか注がれなかったと私は今でも思っています。
伯父と伯母が共働きなのもあり、息子のように可愛がっていました。

大昔。
祖母は、女の子2人しか産めなかったこともあり、姑さんにいびられてたと聞いたことがあります。
それを助けたのは、祖父だったとも。

結局、そういうものって巡り巡るんだなって痛感したのは、その大昔の話を聞いた中学生くらいの時でした。
祖母は、私の母をいびっていました。
自分の娘にいじわるする母親っているんだって。
なのに、男の子を生んだ伯母には媚びへつらい、…差別って家庭でも起こるんだなってぼんやり感じ、祖母から守らなくては、と当時に私は思い、祖母を信用するものかとも思っていました。

そして、妹。
一番下ということもあり、大人社会の我が家にアイドルが舞い降りたかのように大人は妹に優しく甘やかしました。
それはそれは。
近所に住む祖母の兄弟姉妹でさえも!

…私の立場って…(-_-;)

祖母には、「女の子なんだから」「従兄ちゃんにこれを持って行きなさい」「妹のことちゃんと見なきゃだめでしょ」と言われ。
父には「お姉ちゃんなんだから」…。

そんな私をちゃんと愛してくれていたのは、きっと、母と祖父だったと思います。

祖父は、孫は孫、として平等に愛してくれました。
母は、学校に行きたくないと言えば「じゃあ行かなくていいよ」なんてずばっと言ってしまうひとで、ゲームが大好きで、たくさんの話を聞いてくれて、たくさんのことを教えてくれた人でした。


まさか、その二人を20代前半までに亡くすとは思ってなかったですけどね!
親孝行もじいちゃん孝行もできなかった私を怒ってないかな。

早くこの介護から解放されて、自分の道を歩みたいでござる。



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介護に埋もれてもうすぐ丸三年。
四年目に突入します。

先週金曜日にMRI検査受けてきました。
部位は、脳。
…あ、祖母じゃありません、私のです。


父方の祖母が脳梗塞、母方の祖父が脳出血、母がくも膜下出血…と、サラブレッドな私。
人生の中で一番心配しなきゃいけないのが脳なのです。

明日、その結果を聞きに行きますがとっても嫌な予感がするのです。


3年前の、介護生活が始まる前のMRIでは何事もなく、じゃあ35過ぎたらでいいねと言われ。
去年、貧血で病院にかかったときには30で一度やっとくべきだと言われ。
7月末からの頭痛のせいで今年。
うぉーい!
相当早まっちゃったぞ、これぇえええ!

だからこそ嫌な予感がするのです。
ロキソニンを2錠飲んでも聞かないこともあるけど、それ以上飲むと胃が荒れているせいか気持ち悪くなるので難しい。
それに耐えているとほかの症状が出てくる。

明日、どんな審判が私に下るやら、です。
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2年前、母は急逝した。
48歳だった。

本当に突然だったようにあの時は思っていた。
でも、きっと予兆はあったのだ。


くも膜下出血で、倒れて2日後に亡くなった。
あの頃の母は、本当に大変だったと思う。
祖母の介護(母の母)に、家族の我儘を聴き…。
自分の体を心配する余裕すら持てなかったのかもしれない。
そう思うと、彼女を見殺しにしたのは家族だという結果になってくる。

はっきり言って、不憫だったのは妹だ。
当時、社会人一年目だった。


倒れた日は、ICUに泊まった。
父と二人で。
父は時折寝に出て行ったが私は眠る気になれなかった。
明け方、血圧が落ちた時に呼びかけて、手をぎゅっと握った。
あの時はまだ、温かかった。

日が昇って、ほかの家族と交代した。
あまり記憶にない。

寝ろと言われても寝れなかった。
その寝た一瞬に母が逝ってしまうのが怖かった。
連絡役をしていた。

そのまま夕方、病院に行ったが返された。
代わりに父と妹が泊まった。

夜、叔母が私の好きなお酒を注いでくれた。
私の好きな嵐のDVDをかけさせてくれた。
顔が真っ赤になっても、気持ちが高ぶっていた。
ようやく0時過ぎて、ベッドに入った。
そこから6時間、ぐっすりと寝れたようだ。

起きて、ブログを更新し、パソコンに向かっていた。


昼間、病院にいた。
母の友達が来てくれた。
有難かった、けど、申し訳ないと思った。


昨夜の時点で、母は、臨床的脳死と言われた。


夜、帰宅するも父に呼ばれ家族で行く。
そして、日付が変わる前に、頑張った母はこの世に体だけ置いていった。


あれから2年。
いまだに心のどこかで信じられないまま、このブログを綴っている。
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